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5月17日、この日は本州最後の国を盗るべく、飯田線で豊橋に向かった。
この日の経路は、以下のとおりである。
飯田→(飯田線普通)→天竜峡→(飯田線普通)→中部天竜→(飯田線普通)→豊橋→(東海道本線新快速)→名古屋→(東海道本線・武豊線区間快速)→知多半田→(徒歩)→知多半田駅→(知多乗合バス半田空港線)→中部国際空港・中部空港→(JALエクスプレス)→仙台空港→(仙台空港鉄道・東北本線普通)→長町

飯田線はご存じのとおり、119系の天下である。ただし、313系使用列車も入っており、近々119系も廃車となる予定だ。
改めて、飯田線は鉄ヲタにとっては興奮する路線だと思う。

上の写真は切石駅での119系車両真中の扉の様子。ホームと車両との間がかなり離れているのがわかる。
途中、天竜峡で乗り換え。ここから大嵐までは佐久間湖沿いに秘境をゆっくり走る。
途中小和田駅などで下車したいとも思ったが、この日は雨であったこと、完全に携帯電話の圏外であったこと、次の列車まで2時間以上あったことから、下車を断念。
その次の大嵐駅で「新城・設楽」をゲット。この駅はまだ静岡県内だが、天竜川対岸の豊根村冨山地区(以前本土で日本一人口の少ない村と言われた富山村)への最寄駅であり、実質地元の利用者は愛知県民であり、電波も愛知県のものであったと思われる。
そして大原トンネルを出たあたりで「天竜・二俣」をゲット。これにて本土(本州・四国・九州)とその周辺の離島はすべて制覇したことになる。
そして中部天竜駅で下車。ここには昔の鉄道車両を集めた佐久間レールパークがある。ただし、この佐久間レールパーク、今年の秋で閉館になり、その機能は名古屋に新設されるJR東海博物館に移管される予定だ。
この日は小雨ではあったが、40分のわずかな時間で館内を見て回ることにした。


上の写真は運転台シミュレータ。115系の運転台のようだが、この塗装で使用されたことはあったのだろうか。

上の写真はキハ181。特急しなの号の初期の車両だ。

上の写真はモハ52。大昔に京阪神を駆け抜けた、僕の好きな117系のご先祖様だ。

上の写真は旧型客車の車内。僕が小学生の頃は、まだまだ幅を利かせていた。

上の写真はお馴染みの新幹線0系。右側の写真はその運転台。

上の写真は飯田線で使用していた ED62電気機関車。
当日は雨にも関わらず、僕と同じような鉄ヲタだけをはじめ、親子連れも結構いた。たぶん父親が鉄ヲタだったのだろう。

中部天竜駅には、僕の好きな117系が停まっていた。佐久間レールパーク号に使用していた。しかし、この117系も119系同様に廃車予定なのが残念なところだ。
その後、再び飯田線で豊橋へ。豊橋から直接中部国際空港へ向かうと時間が余るので、久しぶりに武豊線に乗ることにした。

上の写真は名古屋直通の武豊線区間快速。この列車で半田へ移動。
半田駅は名鉄知多半田駅とは逆側に駅舎があり、閑散としていた。このあたりの人の多くが名鉄を利用するのだろう。
名鉄の知多半田駅に徒歩で移動したのち、中部国際空港へ知多バスで移動。知多バスは名鉄グループなので、当然の如く車両は三菱ふそう製であった。
そして中部国際空港から、行きと同じJEXで仙台に戻った。
本土地域の国をすべて盗ったことにより、自分の中である種の気持の区切りがついたように思う。
そういった意味で、今回佐久間レールパークを訪れ、117系のご先祖様であるモハ52を見ることができたのは、良かったと思う。
残る13国は北海道の道北と道東、そして先島諸島である。今から楽しみである。
この日の経路は、以下のとおりである。
飯田→(飯田線普通)→天竜峡→(飯田線普通)→中部天竜→(飯田線普通)→豊橋→(東海道本線新快速)→名古屋→(東海道本線・武豊線区間快速)→知多半田→(徒歩)→知多半田駅→(知多乗合バス半田空港線)→中部国際空港・中部空港→(JALエクスプレス)→仙台空港→(仙台空港鉄道・東北本線普通)→長町

飯田線はご存じのとおり、119系の天下である。ただし、313系使用列車も入っており、近々119系も廃車となる予定だ。
改めて、飯田線は鉄ヲタにとっては興奮する路線だと思う。

上の写真は切石駅での119系車両真中の扉の様子。ホームと車両との間がかなり離れているのがわかる。
途中、天竜峡で乗り換え。ここから大嵐までは佐久間湖沿いに秘境をゆっくり走る。
途中小和田駅などで下車したいとも思ったが、この日は雨であったこと、完全に携帯電話の圏外であったこと、次の列車まで2時間以上あったことから、下車を断念。
その次の大嵐駅で「新城・設楽」をゲット。この駅はまだ静岡県内だが、天竜川対岸の豊根村冨山地区(以前本土で日本一人口の少ない村と言われた富山村)への最寄駅であり、実質地元の利用者は愛知県民であり、電波も愛知県のものであったと思われる。
そして大原トンネルを出たあたりで「天竜・二俣」をゲット。これにて本土(本州・四国・九州)とその周辺の離島はすべて制覇したことになる。
そして中部天竜駅で下車。ここには昔の鉄道車両を集めた佐久間レールパークがある。ただし、この佐久間レールパーク、今年の秋で閉館になり、その機能は名古屋に新設されるJR東海博物館に移管される予定だ。
この日は小雨ではあったが、40分のわずかな時間で館内を見て回ることにした。


上の写真は運転台シミュレータ。115系の運転台のようだが、この塗装で使用されたことはあったのだろうか。

上の写真はキハ181。特急しなの号の初期の車両だ。

上の写真はモハ52。大昔に京阪神を駆け抜けた、僕の好きな117系のご先祖様だ。

上の写真は旧型客車の車内。僕が小学生の頃は、まだまだ幅を利かせていた。

上の写真はお馴染みの新幹線0系。右側の写真はその運転台。

上の写真は飯田線で使用していた ED62電気機関車。
当日は雨にも関わらず、僕と同じような鉄ヲタだけをはじめ、親子連れも結構いた。たぶん父親が鉄ヲタだったのだろう。

中部天竜駅には、僕の好きな117系が停まっていた。佐久間レールパーク号に使用していた。しかし、この117系も119系同様に廃車予定なのが残念なところだ。
その後、再び飯田線で豊橋へ。豊橋から直接中部国際空港へ向かうと時間が余るので、久しぶりに武豊線に乗ることにした。

上の写真は名古屋直通の武豊線区間快速。この列車で半田へ移動。
半田駅は名鉄知多半田駅とは逆側に駅舎があり、閑散としていた。このあたりの人の多くが名鉄を利用するのだろう。
名鉄の知多半田駅に徒歩で移動したのち、中部国際空港へ知多バスで移動。知多バスは名鉄グループなので、当然の如く車両は三菱ふそう製であった。
そして中部国際空港から、行きと同じJEXで仙台に戻った。
本土地域の国をすべて盗ったことにより、自分の中である種の気持の区切りがついたように思う。
そういった意味で、今回佐久間レールパークを訪れ、117系のご先祖様であるモハ52を見ることができたのは、良かったと思う。
残る13国は北海道の道北と道東、そして先島諸島である。今から楽しみである。
5月16日と17日の2日間で、ケータイ国盗り合戦で最後に残った飯田線沿線の4国を盗るべく、飛行機で名古屋に向かった。
これまでの旅で結構お金を使ったので、今回もお金を使ったのかと思いきや、特典航空券を使ったので、比較的安価な旅であった。
5月16日の経路は次のとおりである。
仙台→(東北本線・仙台空港鉄道快速)→仙台空港→(JALエクスプレス)→中部空港・中部国際空港→(名鉄常滑線準急)→名鉄名古屋・名古屋→(中央本線普通)→千種→(名古屋市営地下鉄東山線)→名古屋・名鉄バスセンター→(信南交通中央道高速バス伊那線)→駒ヶ根市→(徒歩)→駒ヶ根→(飯田線普通)→飯田
この日は午前9時半にゆっくりと自宅を出発。仙台空港に向かった。そしてJEXで中部国際空港へ。JEX機はオーディオ類が無いのが痛い・・・
中部国際空港からは名鉄で名古屋へ。ちょうど準急が発車するところで、次の全車座席指定の特急まで15分あったので、別に準急でもいいだろうと思った。ところが聚楽園駅で後発の全車指定の特急に抜かれた。準急が名古屋まで逃げきるだろうと思っていたが、甘かった。空港〜名駅間の距離が結構長いと実感した瞬間だった。
名鉄名古屋到着直前に、この週の花摘みコースである「名駅・中村」をゲット。
この後は中央道高速バスで駒ヶ根に向かう予定であったが、乗車予定のバスが15:30発とかなり余裕があったこと、中央道までの経路がわからなかったことから、花摘みの残りの2国も盗りに行くことにした。
そのまま中央本線に乗車し、千種までに「名古屋」、「千種・鶴舞」をゲットした。そして地下鉄東山線で名駅に戻った。
それでもまだまだ時間があったので、名鉄百貨店内の矢場とんで名古屋名物の味噌カツを食べた。
そして箕輪行き高速バスで駒ヶ根へ。箕輪行きは伊那バスかと思っていたが、信南交通であった。
また、最近はほとんどのバスがLEDの方向幕となっている中、まだ幕式の方向幕であった。


高速道路1000円の悪影響も受けず、すいすいとバスは進み、恵那山トンネルを越えて駒ヶ根へ。恵那山トンネルから駒ヶ根の間に「飯田」、「伊那」をゲット。駒ヶ根市にて下車。
初めは「駒ヶ根市」バス停がどこの位置かわからず、不安であったが、駒ヶ根駅から比較的近い位置のバスターミナルであることを知り、安心した。
飯田線の列車の発車まで時間があったので、駒ヶ根駅近くの店で名物のソースかつ丼を食べた。この日の食事は、昼と夜がカツであったことになる。
駒ヶ根駅は18:20分以降完全な無人となるので、切符は車内で購入した。
駒ヶ根から飯田へ向かい途中、田切駅に停車。この駅は某漫画の影響で下車したい駅だったのだが、この日は夜であったことと雨であったことから断念。車内から駅の待合室をチラッと見ると、大学ノートがまだ置いてあった。
飯田到着後、駅前のホテルにてチェックイン。
いよいよ本州の国も、残り2国となった。
これまでの旅で結構お金を使ったので、今回もお金を使ったのかと思いきや、特典航空券を使ったので、比較的安価な旅であった。
5月16日の経路は次のとおりである。
仙台→(東北本線・仙台空港鉄道快速)→仙台空港→(JALエクスプレス)→中部空港・中部国際空港→(名鉄常滑線準急)→名鉄名古屋・名古屋→(中央本線普通)→千種→(名古屋市営地下鉄東山線)→名古屋・名鉄バスセンター→(信南交通中央道高速バス伊那線)→駒ヶ根市→(徒歩)→駒ヶ根→(飯田線普通)→飯田
この日は午前9時半にゆっくりと自宅を出発。仙台空港に向かった。そしてJEXで中部国際空港へ。JEX機はオーディオ類が無いのが痛い・・・
中部国際空港からは名鉄で名古屋へ。ちょうど準急が発車するところで、次の全車座席指定の特急まで15分あったので、別に準急でもいいだろうと思った。ところが聚楽園駅で後発の全車指定の特急に抜かれた。準急が名古屋まで逃げきるだろうと思っていたが、甘かった。空港〜名駅間の距離が結構長いと実感した瞬間だった。
名鉄名古屋到着直前に、この週の花摘みコースである「名駅・中村」をゲット。
この後は中央道高速バスで駒ヶ根に向かう予定であったが、乗車予定のバスが15:30発とかなり余裕があったこと、中央道までの経路がわからなかったことから、花摘みの残りの2国も盗りに行くことにした。
そのまま中央本線に乗車し、千種までに「名古屋」、「千種・鶴舞」をゲットした。そして地下鉄東山線で名駅に戻った。
それでもまだまだ時間があったので、名鉄百貨店内の矢場とんで名古屋名物の味噌カツを食べた。
そして箕輪行き高速バスで駒ヶ根へ。箕輪行きは伊那バスかと思っていたが、信南交通であった。
また、最近はほとんどのバスがLEDの方向幕となっている中、まだ幕式の方向幕であった。


高速道路1000円の悪影響も受けず、すいすいとバスは進み、恵那山トンネルを越えて駒ヶ根へ。恵那山トンネルから駒ヶ根の間に「飯田」、「伊那」をゲット。駒ヶ根市にて下車。
初めは「駒ヶ根市」バス停がどこの位置かわからず、不安であったが、駒ヶ根駅から比較的近い位置のバスターミナルであることを知り、安心した。
飯田線の列車の発車まで時間があったので、駒ヶ根駅近くの店で名物のソースかつ丼を食べた。この日の食事は、昼と夜がカツであったことになる。
駒ヶ根駅は18:20分以降完全な無人となるので、切符は車内で購入した。
駒ヶ根から飯田へ向かい途中、田切駅に停車。この駅は某漫画の影響で下車したい駅だったのだが、この日は夜であったことと雨であったことから断念。車内から駅の待合室をチラッと見ると、大学ノートがまだ置いてあった。
飯田到着後、駅前のホテルにてチェックイン。
いよいよ本州の国も、残り2国となった。
5月10日、長い連休の最終日、この日は豊橋を出発して、ケータイ国盗りにて伊勢湾周辺の未取得国をゲットする旅に出た。
この日の経路は、次のとおりである。
新豊橋→(豊橋鉄道渥美線)→三河田原・田原駅→(豊鉄バス伊良湖本線)→伊良湖岬・伊良湖港→(伊勢湾フェリー)→鳥羽港→(徒歩)→中之郷→(近鉄志摩線普通)→賢島→(近鉄志摩線・鳥羽線・山田線普通)→伊勢市→(快速みえ)→名古屋→(東海道新幹線ひかり)→東京→(東北新幹線はやて)→仙台

まずは豊橋鉄道で終点の三河田原まで。田原市に入るあたりで「渥美」をゲット。

三河田原からは豊鉄バスで伊良湖岬へ。三河田原と伊良湖岬って結構距離があるな、と感じた。

伊良湖岬から鳥羽へは伊勢湾フェリーで。伊良湖岬と鳥羽との間は離島が結構ある。その関係か、フェリーが半分も進まないうちに、「鳥羽・阿児」をゲットすることができた。
鳥羽港到着後、あまり考えずに鳥羽駅方面に歩こうとした。しかし案内があまりにも不親切で、建物のわけわからんスペースに紛れ込んだりもした。
途中鳥羽水族館を抜けると、近鉄志摩線の線路が。
その時、鳥羽駅へ行くより中之郷駅へ行く方が圧倒的に近いことに気づいた。そして、賢島へ寄り道しようと考えた。
そして、近鉄志摩線にて賢島へ移動。近鉄志摩線に乗るのは、確か1994年の大学の合宿以来である。その時は穴川駅近くのユースホステルに宿泊した。また、穴川駅付近は線路の付け替えが行われ、旧線跡や旧穴川駅跡を散策したことも覚えている。
そして賢島駅へ。昔は特急と普通は別の駅(のよう)であったが、現在は並列したホームに発着している。僕が賢島駅を訪れた1994年は、旧普通ホームが撤去された直後ぐらいで、旧線跡および旧ホーム跡は痕跡があったが、15年ぶりに来てみると、その痕跡がかなり消えていた。
賢島駅近くの駅でてこね寿司と伊勢うどんと食べたのち、真珠湾方面への貨物線の廃線跡へ。
この廃線跡の存在を知ったのは、前回訪れた1994年よりも後のことであった。よって、今回はその廃線跡をたどることにした。
旧賢島駅普通ホームから港に向かって、明らかに廃線跡と思しき跡をたどっていき、すぐに海に到達。

上の写真あたりが貨物駅だったと思われる。

上の写真は旧賢島駅舎(と思われる)。
その後志摩線、鳥羽線、山田線にて伊勢市まで移動。そこで快速みえに乗り換えて名古屋へ。
快速みえは4両編成なのに、名古屋まで立っている人を見かけなかった。改めて名古屋〜三重県内の輸送は近鉄の天下なんだと感じさせられた。
名古屋からは浜松・静岡・三島停車のひかり号で東京へ。なぜこの列車にしたかというと、静岡県内での花摘みを確実にしたかったからだ。
インターネット上では新幹線から「静岡」は盗れない、という情報があるが、理論上は盗ることができるため、静岡駅前後で速度の落ちるひかり号に乗ることにした。
結局のところ、余裕で「登呂」、「静岡」、「清水」で花摘みをすることができた。
ただ、この週の花摘みエリアに埼玉県も含まれていたが、なぜか早く仙台に戻りたいという気持ちが強く、埼玉県内での花摘みを無視して、そそくさ仙台に戻った。
これにて9日間の長い連休は終了。
ケータイ国盗りであまり国は増えなかったけど、いきづらい場所を確実に拾うことができ、満足であった。
このままだと、私鉄全線完乗よりも、600国制覇の方が早そうだな。
この日の経路は、次のとおりである。
新豊橋→(豊橋鉄道渥美線)→三河田原・田原駅→(豊鉄バス伊良湖本線)→伊良湖岬・伊良湖港→(伊勢湾フェリー)→鳥羽港→(徒歩)→中之郷→(近鉄志摩線普通)→賢島→(近鉄志摩線・鳥羽線・山田線普通)→伊勢市→(快速みえ)→名古屋→(東海道新幹線ひかり)→東京→(東北新幹線はやて)→仙台

まずは豊橋鉄道で終点の三河田原まで。田原市に入るあたりで「渥美」をゲット。

三河田原からは豊鉄バスで伊良湖岬へ。三河田原と伊良湖岬って結構距離があるな、と感じた。

伊良湖岬から鳥羽へは伊勢湾フェリーで。伊良湖岬と鳥羽との間は離島が結構ある。その関係か、フェリーが半分も進まないうちに、「鳥羽・阿児」をゲットすることができた。
鳥羽港到着後、あまり考えずに鳥羽駅方面に歩こうとした。しかし案内があまりにも不親切で、建物のわけわからんスペースに紛れ込んだりもした。
途中鳥羽水族館を抜けると、近鉄志摩線の線路が。
その時、鳥羽駅へ行くより中之郷駅へ行く方が圧倒的に近いことに気づいた。そして、賢島へ寄り道しようと考えた。
そして、近鉄志摩線にて賢島へ移動。近鉄志摩線に乗るのは、確か1994年の大学の合宿以来である。その時は穴川駅近くのユースホステルに宿泊した。また、穴川駅付近は線路の付け替えが行われ、旧線跡や旧穴川駅跡を散策したことも覚えている。
そして賢島駅へ。昔は特急と普通は別の駅(のよう)であったが、現在は並列したホームに発着している。僕が賢島駅を訪れた1994年は、旧普通ホームが撤去された直後ぐらいで、旧線跡および旧ホーム跡は痕跡があったが、15年ぶりに来てみると、その痕跡がかなり消えていた。
賢島駅近くの駅でてこね寿司と伊勢うどんと食べたのち、真珠湾方面への貨物線の廃線跡へ。
この廃線跡の存在を知ったのは、前回訪れた1994年よりも後のことであった。よって、今回はその廃線跡をたどることにした。
旧賢島駅普通ホームから港に向かって、明らかに廃線跡と思しき跡をたどっていき、すぐに海に到達。

上の写真あたりが貨物駅だったと思われる。

上の写真は旧賢島駅舎(と思われる)。
その後志摩線、鳥羽線、山田線にて伊勢市まで移動。そこで快速みえに乗り換えて名古屋へ。
快速みえは4両編成なのに、名古屋まで立っている人を見かけなかった。改めて名古屋〜三重県内の輸送は近鉄の天下なんだと感じさせられた。
名古屋からは浜松・静岡・三島停車のひかり号で東京へ。なぜこの列車にしたかというと、静岡県内での花摘みを確実にしたかったからだ。
インターネット上では新幹線から「静岡」は盗れない、という情報があるが、理論上は盗ることができるため、静岡駅前後で速度の落ちるひかり号に乗ることにした。
結局のところ、余裕で「登呂」、「静岡」、「清水」で花摘みをすることができた。
ただ、この週の花摘みエリアに埼玉県も含まれていたが、なぜか早く仙台に戻りたいという気持ちが強く、埼玉県内での花摘みを無視して、そそくさ仙台に戻った。
これにて9日間の長い連休は終了。
ケータイ国盗りであまり国は増えなかったけど、いきづらい場所を確実に拾うことができ、満足であった。
このままだと、私鉄全線完乗よりも、600国制覇の方が早そうだな。
5月9日、この日はケータイ国盗りであっても新規の国盗りはせず、花摘みだけに終始した。
ちなみに、スルッとKANSAI3DAYチケットの最終日であった。
(余談だが、残り1日は鉄旅も国盗りも関係ない私用で使用)
経路は次のとおりである。
京都→(京都市営地下鉄烏丸線・近鉄京都線急行)→近鉄奈良・近鉄奈良駅→(奈良交通バス97系統)→近鉄郡山駅・近鉄郡山→(近鉄橿原線急行)→大和八木→(近鉄大阪線急行)→青山町→(近鉄大阪線急行)→桜井→(桜井線)→奈良→(関西本線普通)→王寺→(近鉄生駒線)→生駒→(近鉄けいはんな線・大阪市営地下鉄中央線)→谷町四丁目→(大阪市営地下鉄谷町線)→大日→(大阪モノレール)→南茨木→(阪急京都線準急)→洛西口→(徒歩)→桂川→(東海道本線普通)→京都
まずは近鉄で奈良に移動しようと思ったが、普通に移動するのは面白くないので、地下鉄烏丸線の京都駅から出発。来た車両は近鉄の3200系(実は地下鉄車両を狙っていたが・・・)。
奈良到着までに「平城」、「奈良」にて花摘み。ただこのまま西大寺に戻っても面白くないので、バスで近鉄郡山まで移動することにした。
ところがバスに乗っている時に、あることに気がついた。
スルッとKANSAI3DAYチケットは奈良交通では使えない!
関西の大手バス事業者は網羅しているだろうと思っていた。完全な思い込みであった・・・orz
念のため、近鉄郡山下車時に「スルッとKANSAI3DAYチケットは対象外でしょうか?」と聞いてみたが、案の定、「申し訳ございません。対応しておりません」とのことだった。
それにしても、近鉄郡山のバスターミナルから駅が見えないのは、非常にわかりにくいな、と思った。
その後、近鉄橿原線に乗車。田原本あたりで「天理」の花摘み。そして大和八木で乗り換え、三本松あたりで「花の郷滝谷花しょうぶ園」の花摘みを行った。
この移動中、またもとんでもないことに気づいた。
実はこの後、伊賀上野、関西本線経由で奈良方面に戻ろうと考えていた。そして携帯サイト「駅前探検倶楽部」で経路検索を行ったところ、奈良の到着時刻があまりにも遅すぎる。
今度は携帯サイト「えきから時刻表」で伊賀上野の時刻検索を行ったところ・・・
第二土曜日の昼間は運休
であることがわかった。またしても・・・orz
せっかくここまで来たので、スルッとKANSAI3DAYチケットの最東端である青山町まで行くことにした。ここで昼食をとり、今度は青山町始発の急行で桜井へ。その後桜井線で奈良へ移動した。
この後どうしようかと思っていたが、ふと「大阪で一番高い所に行ってみたい」と思い、王寺、生駒経由で谷町四丁目へ。
そして、谷町四丁目(正確には馬場町交差点付近)の近くの難波宮跡へ。最も、標高が高いと言っても、高いビルに囲まれたエリアなので、あまり実感はできないが。自然地形では大阪城あたりが最も高いところというのを聞いたことがあるが、実際はどうなんだろう?
その後、谷町線、大阪モノレール、阪急京都線を乗り継ぎ、洛西口へ。ここから徒歩で昨年秋に開業したばかりの桂川駅へ。
結構馴染みのある場所であるはずなのだが、駅ができてバスターミナルができると、結構雰囲気が変わったように思う。
本来はこの日の旅は終了なのだが、実は続きが。
実家で食事を摂ったのち、次の日の行動がしやすいように、豊橋へ移動することにした。
京都→(東海道新幹線のぞみ)→名古屋→(東海道本線新快速)→豊橋
さて、いよいよ長い休暇も終わりに近付いてきた。
ちなみに、スルッとKANSAI3DAYチケットの最終日であった。
(余談だが、残り1日は鉄旅も国盗りも関係ない私用で使用)
経路は次のとおりである。
京都→(京都市営地下鉄烏丸線・近鉄京都線急行)→近鉄奈良・近鉄奈良駅→(奈良交通バス97系統)→近鉄郡山駅・近鉄郡山→(近鉄橿原線急行)→大和八木→(近鉄大阪線急行)→青山町→(近鉄大阪線急行)→桜井→(桜井線)→奈良→(関西本線普通)→王寺→(近鉄生駒線)→生駒→(近鉄けいはんな線・大阪市営地下鉄中央線)→谷町四丁目→(大阪市営地下鉄谷町線)→大日→(大阪モノレール)→南茨木→(阪急京都線準急)→洛西口→(徒歩)→桂川→(東海道本線普通)→京都
まずは近鉄で奈良に移動しようと思ったが、普通に移動するのは面白くないので、地下鉄烏丸線の京都駅から出発。来た車両は近鉄の3200系(実は地下鉄車両を狙っていたが・・・)。
奈良到着までに「平城」、「奈良」にて花摘み。ただこのまま西大寺に戻っても面白くないので、バスで近鉄郡山まで移動することにした。
ところがバスに乗っている時に、あることに気がついた。
スルッとKANSAI3DAYチケットは奈良交通では使えない!
関西の大手バス事業者は網羅しているだろうと思っていた。完全な思い込みであった・・・orz
念のため、近鉄郡山下車時に「スルッとKANSAI3DAYチケットは対象外でしょうか?」と聞いてみたが、案の定、「申し訳ございません。対応しておりません」とのことだった。
それにしても、近鉄郡山のバスターミナルから駅が見えないのは、非常にわかりにくいな、と思った。
その後、近鉄橿原線に乗車。田原本あたりで「天理」の花摘み。そして大和八木で乗り換え、三本松あたりで「花の郷滝谷花しょうぶ園」の花摘みを行った。
この移動中、またもとんでもないことに気づいた。
実はこの後、伊賀上野、関西本線経由で奈良方面に戻ろうと考えていた。そして携帯サイト「駅前探検倶楽部」で経路検索を行ったところ、奈良の到着時刻があまりにも遅すぎる。
今度は携帯サイト「えきから時刻表」で伊賀上野の時刻検索を行ったところ・・・
第二土曜日の昼間は運休
であることがわかった。またしても・・・orz
せっかくここまで来たので、スルッとKANSAI3DAYチケットの最東端である青山町まで行くことにした。ここで昼食をとり、今度は青山町始発の急行で桜井へ。その後桜井線で奈良へ移動した。
この後どうしようかと思っていたが、ふと「大阪で一番高い所に行ってみたい」と思い、王寺、生駒経由で谷町四丁目へ。
そして、谷町四丁目(正確には馬場町交差点付近)の近くの難波宮跡へ。最も、標高が高いと言っても、高いビルに囲まれたエリアなので、あまり実感はできないが。自然地形では大阪城あたりが最も高いところというのを聞いたことがあるが、実際はどうなんだろう?
その後、谷町線、大阪モノレール、阪急京都線を乗り継ぎ、洛西口へ。ここから徒歩で昨年秋に開業したばかりの桂川駅へ。
結構馴染みのある場所であるはずなのだが、駅ができてバスターミナルができると、結構雰囲気が変わったように思う。
本来はこの日の旅は終了なのだが、実は続きが。
実家で食事を摂ったのち、次の日の行動がしやすいように、豊橋へ移動することにした。
京都→(東海道新幹線のぞみ)→名古屋→(東海道本線新快速)→豊橋
さて、いよいよ長い休暇も終わりに近付いてきた。
5月8日、この日は隠岐から京都へ帰る日である。
この日の経路は次のとおりである。
西郷港→(隠岐汽船高速旅客船)→境港→(境線)→米子→(山陰本線普通)→倉吉・倉吉駅→(日本交通バス)→赤瓦・白壁土蔵→(日の丸自動車)→倉吉駅・倉吉→(特急スーパーはくと)→京都
たぶん前日と同じであろう高速旅客船で、行きとは異なる本州側の港、境港へ。
境港の隠岐汽船の発着場とJR境港駅は、ビルを挟んですぐである。

境港市は、水木しげるの出身地ということもあり、ゲゲゲの鬼太郎を前面に押し出している。上の写真は境港駅の駅舎。
境線も同じく、ゲゲゲの鬼太郎を前面に押し出していて、駅名もゲゲゲの鬼太郎にちなんだ名称を付けたり、キハ40をゲゲゲの鬼太郎のキャラクターに結びつけたりしている。

上の写真は「目玉おやじ」のキハ40。
境線は途中、米子空港滑走路延長の関係で切り回し区間がある。工事はこれからのようで、旧線跡もきっちりと残っていた。
米子で山陰本線に乗り換え、倉吉へ。倉吉始発のスーパーはくとに乗るためだ。
スーパーはくとの発車まで2時間近くあったので、倉吉駅前の観光地図で目にした倉吉線鉄道記念館に行ってみることにした。
行きは日本交通バスで約15分。記念館は元打吹駅跡にあった。
館内は無人である。点灯、消灯も来館者が行うことになっている。よって、入った時は「なんだこの薄暗い場所は!」と感じた。閉館後はたぶん施錠されるのであろう。


左上の写真は記念館の建物。右上の写真は館内に保存されている貨車移動用ディーゼル機関車。
館内は思ったよりも狭く、10分もあればすべてのものを見ることができる程度である。

この駐車場の敷地がも打吹駅の構内だったのだろうか。
30分程度、記念館を含む打吹駅跡で時間をつぶしたのち、帰りは日の丸自動車で倉吉駅に戻った。

帰りはスーパーはくとで京都まで一直線。
途中、因美線内で「八頭」、智頭急行内で「津山・真庭」を、それぞれゲットした。
これにて、JR西日本・四国・九州の管内、つまり関西以西の本土エリアはすべて制覇したことになる。
3日間の、四国から山陰へ抜ける旅は幕を閉じた。
特に後半2日間は、隠岐への船旅がメインのはずが、大社駅・倉吉線の史跡を巡る、という印象が強かったように思う。
(よって分類は「バス旅・船旅」ではなく「普通の鉄旅」にしました)
この日の経路は次のとおりである。
西郷港→(隠岐汽船高速旅客船)→境港→(境線)→米子→(山陰本線普通)→倉吉・倉吉駅→(日本交通バス)→赤瓦・白壁土蔵→(日の丸自動車)→倉吉駅・倉吉→(特急スーパーはくと)→京都
たぶん前日と同じであろう高速旅客船で、行きとは異なる本州側の港、境港へ。
境港の隠岐汽船の発着場とJR境港駅は、ビルを挟んですぐである。

境港市は、水木しげるの出身地ということもあり、ゲゲゲの鬼太郎を前面に押し出している。上の写真は境港駅の駅舎。
境線も同じく、ゲゲゲの鬼太郎を前面に押し出していて、駅名もゲゲゲの鬼太郎にちなんだ名称を付けたり、キハ40をゲゲゲの鬼太郎のキャラクターに結びつけたりしている。

上の写真は「目玉おやじ」のキハ40。
境線は途中、米子空港滑走路延長の関係で切り回し区間がある。工事はこれからのようで、旧線跡もきっちりと残っていた。
米子で山陰本線に乗り換え、倉吉へ。倉吉始発のスーパーはくとに乗るためだ。
スーパーはくとの発車まで2時間近くあったので、倉吉駅前の観光地図で目にした倉吉線鉄道記念館に行ってみることにした。
行きは日本交通バスで約15分。記念館は元打吹駅跡にあった。
館内は無人である。点灯、消灯も来館者が行うことになっている。よって、入った時は「なんだこの薄暗い場所は!」と感じた。閉館後はたぶん施錠されるのであろう。


左上の写真は記念館の建物。右上の写真は館内に保存されている貨車移動用ディーゼル機関車。
館内は思ったよりも狭く、10分もあればすべてのものを見ることができる程度である。

この駐車場の敷地がも打吹駅の構内だったのだろうか。
30分程度、記念館を含む打吹駅跡で時間をつぶしたのち、帰りは日の丸自動車で倉吉駅に戻った。

帰りはスーパーはくとで京都まで一直線。
途中、因美線内で「八頭」、智頭急行内で「津山・真庭」を、それぞれゲットした。
これにて、JR西日本・四国・九州の管内、つまり関西以西の本土エリアはすべて制覇したことになる。
3日間の、四国から山陰へ抜ける旅は幕を閉じた。
特に後半2日間は、隠岐への船旅がメインのはずが、大社駅・倉吉線の史跡を巡る、という印象が強かったように思う。
(よって分類は「バス旅・船旅」ではなく「普通の鉄旅」にしました)


